糧と伝統

昨日の新シルクロード総集編。カシュガルの旧市街には老城とよばれる古い街並みが残っており、これを観光資源として活用している。中国沿岸部からツアー観光客がやって来ては、今も住居として使われている部屋の中まで見学していくのだそうだ。部屋の中では、そこに住むウイグル人の女の子が民族舞踊を見せ、観光客がフラッシュを焚いて写真を撮る。この家はそうやって生活の糧を得ているのだけど、どうにも幸せそうに見えない。女の子は、頭では納得しつつも、このような他人に見られる暮らしに神経をすり減らしているようだった。観光客のひとりは(無神経にも)「今度北京においでよ」と言って去って行った。
僕はこの手の民族舞踊(ただの舞踊でもそうだけど)を「気持ち良く」見れたことがない。バリでケチャやガムランを見たときも、演者たちが醸し出す「生活のため」感が感じられ、気後れさえして観覧していた。だれかが「これはカネになる」と気付いてから、本来の活気ある伝統芸能は失われ、世俗にまみれて、挙句の果てに観客にまでそれを感じさせる事態になった ── と考えるのは感傷的過ぎるのだろうか。
カネが必要だという事情も良く分かるのだけど、観光だけに頼る街は、どこかさもしさが感じられてしかたない。
・・・言いっぱなしになってしまった。反省。