24時間戦えますか
2006-1-12 thu. @ジャイサルメール〜デリー
(この旅日記、必ずしも日付順じゃありません。目次は日付順に並んでいます)
今日はデリーへ帰る日だ。旅を続けていられる時間も残り少なくなっているので、ラジャスターンはどうしても急ぎ足になってしまう。今日のお昼に出る列車の切符は、先日ジョードプルで買い求めていた。空席状況がコンピュータ管理されてるおかげで、購入した駅と乗車する駅が異なっても、無事手に入れることができたのだった。
朝の散歩をしていると、アマルサガル門の下でくもったメガネをかけたおじいさんが香水を売っていた。なんだかたたずまいに惹かれて、すっかり説明を聞いていしまう。いろいろ匂いをかがせてもらったあと、気に入ったやつを2.5グラムの小瓶に入れて分けてもらった。香水なんてつけたことないけれど、おじいさんが実演してくれるには、少しだけ脱脂綿に湿らせて、服や体にポンポンと置いていけばよいのだそうだ。
少し早いがサガルホテルに戻り、ルーフトップレストランで休憩と昼食をとった。日本人が教え込んだというオムライスを頼んでみたのだけど、油がギトギトで思っていたのと違っていた。当然出てくるものと思っていたのとちがうのが出てくると、なんだかちょっとしょんぼりした気分になってしまう。
ルーフトップレストランにはふつうのテーブル席もあるのだが、床にマットとクッション、そして足の短いテーブルを置いたマハラジャスタイル(←今名づけた)の席もある。なにもせずに寝転び、空を見上げているだけでゆったりとした気分になれる。そうだ。歩き回るのもいいけれど、こうして、異国の空の下でリラックスするのもいいな。忘れてたこの感覚、今回の旅では。
昼食はイスラエル人男性2人の先客がいて、かれらとポツポツとしゃべりながら過ごしていた。ひとりはかなりの男前。ヘブライ語(イスラエル人はヘブライ語を読み書きする)に翻訳されたロンリープラネットを持っているのがものめずらしかった。ヘブライ語は、ヒンドゥー文字やハングルよりももっと簡素なスタイルの文字で、右から左へと流れる。
日本人がイスラエルを旅するのは可能か?と聞くと、けっこうたくさん来てるよ。エジプトやシリアから来ることができる。とそんな答えだった。イスラエル人の旅人は、インド以外でもよく見かけるので、パレスチナ問題を別にすれば案外普通の国なのかもしれない。ひところ流行った「コピーできないCD」や coLinux など、コンピュータに強いイメージもある。
男前はどこかでシタールを買ったらしいのだが、あいにく弦は張られておらず、自分で張るようになっているらしかった。かれは四苦八苦して弦を張っていて、結局ぼくがいる間にシタールのエキゾチックな音色を奏でることはできなかった。
15:30 発のはずの列車は、16:15 になってようやく発車した。デリー到着は 11:30 の予定なので、ほとんど丸1日かけてインド亜大陸をひた走る。車中、たまっていた「罪と罰」を読み進めた。これはおもしろいなあ。現代風にアレンジして映画化したらぜったいにおもしろくなると思うけどなあ。