元旦

元旦である。昨日から実家に戻っている。

朝10時頃目をさますと、皆食事を待っていたという。恐縮。母は馬鹿丁寧に「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」と挨拶をする。いい加減な人ではあるのだけれど、折り目正しい人でもある。こんな風に新年の挨拶をするのだなと感心しながら、自分はそれに倣った。

お雑煮は白みそで。焼きたての鯛と海老がいい香りだ。口が年をとったせいか、母のおせちが年々当世風になってきたせいか、おせちも美味しい。父と母は燗にした日本酒を呑んでいる。自分は一口だけ。日本酒は苦手である。

年賀状は1枚だけ。Kさんありがとう。かわりにメールがいくつか入っている。あっさりと「おめでとうございます。今年もよろしく」というのもあったり、7月頃結婚することが決まっただとかいうのもある。めでたいことだ。・・・そういえばまだメールの返事をしていない。忘れてた。

テレビはバラエティの合間に「小泉首相靖国神社を参拝」→「韓・中の抗議」というニュースを流している。ニュースは「抗議」のある前から、韓・中に対して抗議して下さいみたいな煽り方をしていた。飽きないのか。

法隆寺へ初詣に。13時頃だったが、意外に空いている。久しぶりに仏閣に訪れるとその美しさに圧倒される。法隆寺は、非常に美しい建物だ。曇っていた空も晴れ間が広がり、気持ちのよい時間が流れた。

ただ、やはり寺は詣でるものではないのだろうか。そのあと、法隆寺の奥にある斑鳩神社に初めて訪れたのだが、煙を炊いたりしていてより雰囲気があった。やはり神を詣でてこその初詣なのだと思う。寺には仏様がいらっしゃるだけである。

ところで、林芙美子の小説や紀行文を読んでいると、妻あるいは奥さん、カミさん、旅館の女将(おかみ)を指す言葉に「神さん」という字を当てている。芙美子の趣味なのか当時(昭和10年前後)の書き方だったのかはわからないのだが、僕はできたらこの字の使い方は復活してほしいと思っている。よい使い方だと思う。

晩は近くの親戚の家へ夕飯をよばれに行く*1カニすきと刺身。美味しくいただく。自分の特技は「美味しくいただくことができる」ことだと思っている。これに磨きをかけるため、コメントなど練習することにしよう。ともかく、美味しかった。食い物でつられると、どこへでも付いて行ってしまう自分が憎い。

*1:「よばれる」は「ごちそうになる」の意。ひょっとすると関西弁かもしれない。念のため。