新版 放浪記 (2)

ではまた大正時代の様子を眺めてみよう。芙美子は四国への帰省途中、神戸駅で途中下車した。

 暑い陽ざしだった。だが私には、アイスクリームも、氷も買えない。ホームでさっぱりと顔を洗うと、生ぬるい水を腹いっぱいに呑んで、黄いろい汚れた鏡に、みずひき草のように淋しい自分の顔を写して見た。さあ矢でも鉄砲でも飛んで来いだ。別に当もない私は、途中下車の切符を大事にしまうと、楠公(なんこう)さんの方へブラブラ歩いて行ってみた。

(中略)

 砂ぼこりのなかの楠公さんの境内は、おきまりの鳩と絵ハガキ屋が出ている。私は水の涸れた六角型の噴水の石に腰を降ろして、日傘で風を呼びながら、晴れた青い空を見ていた。あんまりお天陽様が強いので、何もかもむき出しにぐんにゃりしている。

新版 放浪記(新潮文庫)p.131

想像もつかない時代がいきいきと描かれている。アイスクリームがあったんだ。大正時代の神戸駅はどんなだったのか。楠公さん(湊川神社)には絵ハガキ屋が出てたのか。大正の晴れた青い空はどんなだろう。・・・なんて無邪気に感心してしまう。
過去の延長として現在というのは、普段意識にのぼることは少ない。けれどたまにこんな本を読んだりして想像をたくましくするのはなかなか面白いモノだ。

楠公さん(湊川神社
http://www.minatogawajinja.or.jp/