game++5 : Next 5 Years〜次世代のゲーム技術者に求められる力

全体で2部構成をとっており、

  1. ナムコ岩谷徹さんの講演
  2. IDGAの新さん、サイバーコネクトツーの松山さん、シェードの横山さん、そして岩谷さんのパネルディスカッション

という内容だった。
岩谷さんはパックマンを作った人として有名だが、こんなことを仰っていた。「観察することからはじまる」。見ることが大事なのだと。「観察→分析→考察→仮説→創造→実行(開発)→評価」のサイクルで。
ヴァーチャルリアリティ(人工現実感)についての質疑で岩谷さんは

自動回転木馬。あれも乗っている人はまるで馬に乗っているかのような感じにとらわれている。なにもヘッドマウントディスプレイをかけたりするだけが人工現実感ではない。

との答え。ぼくもテクノロジーを駆使したヴァーチャルリアリティより、自分の脳みそを積極的に駆使するヴァーチャルリアリティの方が好みだ。
ほか、

ヨハン・ホイジンガ「人間は遊ぶ存在である」
遊びというものの動機は、本能説・気晴らし説・学習説がある。
ロジエ・カイヨワの遊びの分類
1.競争 2.偶然 3.物まね 4.眩暈
岩谷の第5の遊びの分類
5.リズム

など。(遊びの分類についてはコチラ)
番外編として、仕事の格言など。至言は「上司に10言われたら2くらいはやっておく」「プレゼンは自分の土俵ではなく相手の土俵に立ってやる」。相手の土俵、です。
最後のクロージングメッセージ(←日本語でいいのに)で京都府商工部の方が話された内容が印象的。

日本の持つ技術力は非常に高いものがある。京都の友禅染など、世界的に見てもこれほど高い技術に裏打ちされた美しいものは、私が見てきた限りでは無かった。しかし、このような伝統工芸はいま元気が無い。
昔は「あみものゲーム」というテレビゲームがあった。私はこんなもの売れるのかと思っていたが意外に売れて採算も取れたらしい。
京友禅は美しいけれどもパワーがない。ゲームは昔もっと混沌としていてパワーがあった。日本の主軸コンテンツ産業であるビデオゲーム産業まで元気をなくして欲しくない。

美しさ、完成された美というのは衰退していく運命なのだろうか。昨今のゲームが絵の美しさを競っていたこととダブり、なにか意味深い。